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prologue 終わりの始まり②

Penulis: 当麻月菜
last update Terakhir Diperbarui: 2025-09-28 20:56:44

 神殿広場にいる大勢の帝国民は、舞台に向かってくる聖女を目にした途端、一斉に両膝をついた。官僚も、名門貴族も、神官長さえも。

 フォンハール帝国の民が両膝をつくのは、三人だけ。

 神と、皇帝と、聖女。それ以外は、片膝をついて恭順を表す。

 この二年、嫌というほどこの光景を目にしてきたけれど、ツグミはいつまで経っても居心地悪さを感じてしまう。やっぱり自分は、ただのツグミが性に合っている。

 でも官僚たちは、ツグミを皇后にさせたかった。世界で唯一人、魔力のない者に魔力を付与できる奇跡の存在を他国に奪われないために。

(だーれが、なるもんですか!)

 舞台へと歩き続けるツグミは、毎日のように皇帝との結婚証明書にサインを迫った官僚の前を通り過ぎた瞬間、心の中でベェーっと舌を出す。

 近い将来、アレクセルは敵国のヴォルテス第一王女を妻にする。

 敗北した国の王族は処刑されるのが習わしだが、勝利した王族と婚姻関係を結べば、話が変わる。

 それでもヴォルテス国は100年も続いた戦争に負けた悔しさも、敵国を憎む気持ちも、すぐには消えないだろう。無論、勝利したフォンハール帝国側だって同じ気持ちのはず。

 けれどアレクセルは、多くの反発を受けるのを覚悟して、ヴォルテス国の思想と文化は極力残すと約束してくれた。

 これから先、フォンハール帝国とヴォルテス国の民は、途方もない時間をかけて沢山のことに折り合いをつけ、現実を受け入れていかなければならない。

 きっと国内から数々の問題が浮上し、頭を抱えることが何度もあるだろう。それでもアレクセルは、これ以上、無駄な血を流さないために決断してくれた。ツグミはそんな彼を心から尊敬する。

「ここからは、我らが先導しよう」

 舞台まであと少しというところで、ツグミを先導していた神官の前に正装姿の3人の騎士が立ちふさがった。

 彼らは──彼らだけは、ツグミの前で両膝をつかない。なぜなら、彼らはツグミの護衛騎士だからだ。

「ったく、俺らより神官をエスコート役にするなんて泣くぞ、俺。いや、泣かんけど」

 そう言ってガッハッハと笑う赤茶髪の厳つい騎士の名は、サギル・ロードン。口より先に身体が動く彼は、ツグミにとって頼れる兄のような存在だった。

 トレードマークになっていた無精ひげは、今日は綺麗に剃っているから、ちゃんと25歳の青年騎士に見える。

「そうだよ!どうして今日に限って僕たちを避けるの?」

 うるうると子犬のような目でツグミを見つめるのは、19歳になったばかりのカダン・レイシス。

 サギルとは逆に、ふわふわの栗毛にくるくるした若草色の瞳を持つカダンは、年齢より幼く見える。立ち位置的には弟だ。

「避けてなんかない。違うよ。ちょっと陛下とお話してただけ。カダンは陛下のこと苦手でしょ?」

 ツグミは、カダンの頭をわしゃわしゃ撫でながら問いかけた。すぐに、うーっと葛藤する唸り声が聞こえる。

 カダンは、軽いサディストのアレクセルのことが苦手だ。いつも器用に逃げ回っている。

 でも、カダンのことをつい弄りたくなるアレクセルの気持ちを、ツグミはちょっとだけわかってしまう。だってカダンのリアクションは、天下一品なのだ。

「それでツグミ様、殿下とはどんなお話を?」

 ツグミとカダンの間に割り込んできたのは、女性騎士のリュ―リアナ・イバレだ。

 騎士服を着ていても、貴族出身のリュリーアナの気品と美貌は隠しきれない。亜麻色の髪。深い藍色の瞳に象牙のような白い肌。22歳という大人の女性の彼女を、ツグミは憧れ、心から慕っていた。

「別に大した話はしてないよ」

 ニコリと笑って、ツグミはリュリーアナの問いに答える。

 しかしリュリーアナの表情は険しい。

「殿下も困ったお方です……このような大事な日にツグミ様のお時間を割くなんて」

「ねぇ、ツグミ。本当は殿下に意地悪されたんじゃないの?僕、仕返しするよ?」

 ツグミの袖を掴んで報復の許可を得ようとするカダンは、一見頼りなさそうに見えるが、実は稀代の名軍師だ。

 どれだけ厳しい局面でも、カダンの策のおかげで何度も救われたツグミは、彼の本気がどれだけ恐ろしいか身をもって知っている。

「大丈夫、大丈夫。ほんと大丈夫だから……!いじめられてなんかないよ。ここまで大勢の人の前に立つのは初めてで緊張しちゃったから、殿下に上手く演説できるコツを訊きたかっただけ」

 早口でまくし立てれば、カダンは納得してくれたようで袖を離してくれた。

「ねえ、ところでエルベルトは?」

 ツグミには、護衛騎士が4名いた。残り一人が見当たらず、ツグミがキョロキョロすれば、カダンとリュリーアナは同時に口を開いた。

「知りませんわ」

「知らないよ」

 そっか。と、頷いてみたものの、ツグミは寂しさを覚えてしまう。

 濃紺色の髪と藤色の瞳を持つエルベルト・ラウロは26歳で、一番離れていたし、一番寡黙だったせいか、ほとんど話すことはなかった。

 でも苦手だったわけじゃない。彼の笑った顔を見てみたかったし、もっと色んな話をしてみたかった。

 なによりエルベルトには、多大な恩がある。だから最後に、彼の顔を目に焼き付けたかった。けれど──

「お嬢、立ち話はここまでにして行こうや」

 そう言いながらサギルは、チラリと民衆に目を向ける。

 胸に手を当て、両膝を付いたまま項垂れるのは、短い時間でも辛い姿勢だ。

「うん、そうだね」

 頷いたツグミだが、すぐには歩き出さない。身体をひねって、名残惜しそうにしている神官と目を合わせた。

「ありがとうございます。あなたのお陰で迷わずここまで辿り着くことができました」

 礼を伝えたツグミに、神官は両膝をついて礼を執ることで返事を返す。

 青年と呼んでいいのか、壮年と呼ぶべきなのか判断に迷う神官の顔を、ツグミはうっすら覚えているが、名前までは知らない。

 階級によって装飾が異なるが、神官服は総じてフードがついた灰色のローブだ。フードは深く被るのがデフォルトだったせいで、顔を見分けることがかなり難しい。

 神官は気軽に聖女に声をかけることはできない。だから聖女である自分が、もっと距離をつめるべきだった。 

 エルベルトのことといい、後ろ髪を引かれることがまた一つ増えてしまったが、何もかも完璧にできるほど自分が器用じゃないことをツグミは知っている。

「行こっか」

 思いを振り切るように大きく一歩踏み出したツグミと同時に、護衛騎士たちも歩き出す。

 といっても、舞台はすぐそこ。十歩も進まず、舞台の昇り階段に到着した。

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